使徒ヤコブの右手が折れた

shirasagikara2006-11-09

きのう、使徒ヤコブの右手首が折れた。もちろん彫っている12使徒群像のヤコブの話。太い杖を握らせるつもりで、右手を曲げ広げ削っているうち手首から取れた。
3年半かけて、12使徒のおおまかな姿を彫った。顔もいちおう右に向けたり、上を仰がせたり、ユダはうつむき加減にしたが、いずれも目は最後に残してある。そして手に何を持たせるかがむずかしい。
ペトロは右手に鍵を握らせた。マタイは両手にマタイ福音書の巻物を抱えさせ、フィリポは「イクトウス(魚)」の旗持ちだ。ユダは左手で金袋をにぎり、右手は広げて顔を覆わせる。こう書くとりっぱな彫刻に聞こえるが、ずぶの素人の滅茶苦茶彫り。
さてヤコブの右手首が折れ、接着剤で繋ごうかとも考えたが、彫りなおして大きな魚をつかませた。もともと左手は小さな魚をぶら下げさせたので、つりあいはとれる。
これが木彫の面白いところだ。失敗から新しい形ができる。じつは上段のアンデレも、最初は両手を合わせて拝む姿だったが、左手がぽろっと折れた。そこで左手は魚を獲る網を握らせ背中にたらすことにした。ヤコブもアンデレも、ガリラヤの漁師だった。面白い。失敗からまったく考えなかった姿が出てくる。
人生もそうではないか。ポキッと折れて、そこから立ち上がればいい。
「シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった」(マルコ1・16)