直線の国境線のこわさ

アメリカ合衆国の地図を開くと、多くの州の境がまるで定規で線を引いたように、直線で区切られているのに気づく。そこに住んでいたアメリカ原住民の存在を、無視しなければできない勝手な線引きだ。
むかしカナダのバンクーバーへ行ったとき、カナダと米国を横一文字に切り裂いた国境線が、一度西の海に入り、さらにカナダ側から垂れ下がったTsawwassen半島に再上陸して、Point Robertsの猫の額ほどの半島の先を米国領としているのに驚いた。
このアメリカ的直線思考は、イギリスやフランスに源があるのかも知れない。その証拠に彼らが植民地にしたアフリカや、中東にまっすぐな国境線があちこちに残されている。
たとえば今問題のイラク。そのとなりのシリア、ヨルダン、サウジアラビア北アフリカの旧フランス植民地のリビアアルジェリア、マリ。イギリス植民地のスーダンソマリアケニアなど。人種、宗教、文化を無視した名残の直線国境線だ。キリスト教帝国主義の罪は深い。
キリスト教の歴史は輝かしいものばかりではない。十字軍を始め恥も多い。「人にしてもらいたいことは、何でも人にしなさい」(マタイ7・12)の前半に目をつぶり、自分勝手に相手を無視して、直線を引く無邪気な善意がこわい。イラク問題の根がここにある。
「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」(フィリピ2・3)