専用席、指定席 /優先席、招待席

東京の中央線上り快速電車の先頭車両は、朝の通勤時間帯に「女性専用車」となる。そこは女性専用の指定席で男性は入れない。
バス、電車に乗ると優先席がある。老人や妊婦、病人のためで、白髪の老人のわたしなど大きな顔をして座る。空いていればだれでも座れるのに「優先席」の掲示に気おくれして座らぬ方が多い。もちろん無遠慮に座って、老人が前に立っても寝たふりの若者もいる。
キリストの教会は、クリスチャン限定の専用席、指定席ではない。老人、妊婦、病人と同じく、弱い人、疲れた人が、やれやれありがたいと座る優先席だ。
そこは教会のご主人のキリストさまが「君、いらっしゃい」と招待してくださり、「疲れた者が大きな顔をして、遠慮なしに座れる優先席だ」とおっしゃってくださる。だれでも入れて座れるのに「教会」の看板に気おくれして、気づかずに外に立つ方が多い。
エスのたとえ話に「盛大な晩餐会」がある。宴会準備完了しても指定席に名札の出た賓客は一人も来ない。怒った主人は「貧乏人、身体不自由者、目や足の不自由な人を連れて来い」と命じる。しもべが、それでも席が余ると言うと、「道に出てだれかれかまわず、むりやりひっぱって来い」という話だ。
キリストの教会全体が、まさかわたしが、あの人が、招かれるはずがないと、教会の外に立つ人々の優先席、招待席なのだ。
「無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」(ルカ 14・23 )