欅の大木

shirasagikara2006-11-25

わが家から一番近いバス停に大きな欅(けやき)がある。付近一帯うっそうと屋敷林が茂る古い農家の出口の一角だ。バス会社がバスの折り返し用の駐車場に借りた道端に立っている。ゆったりと四方に枝を張り、春は新緑、秋は黄葉で楽しませてくれる。高さはビルの5階を優に超える。
欅は自分で小枝を落とし形を整えるとも聞いた。その字のとおり枝が競い挙がって天を指す。いつか大阪から来た友人が、関東平野には欅がよく似合うといった。夕焼け空に葉の落ちた欅林が、高く細長い枝を十本の指をひろげたように立つ姿は美しい。
内村鑑三は「われ明日死ぬと聞かば、きょう木を植えん」と言ったが、まわりに木々が、林が、森があるのは人間にとり、鳥や魚や生き物にとり、いのちの源泉だ。たしかカナダだったか、一本木を切れば、二本の木を植えなければならないという。
「こども さんびか」に、うろ覚えだがこうあった。
「あるとき小鳥が言うことに/言うことに/林の小枝がなくなれば/わたしはどうして暮らしましょう」
「林の小枝が言うことに/言うことに/小鳥が毎日良い声で/歌を歌ってくれるのよ」
「小鳥も小枝も神さまが/神さまが/おつくりなされたお友だち/いつでも仲良く暮らします」
欅の大木がおびただしい落ち葉を散らす。秋は老いたが、いのちは循環し支えあう。
「うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる」(エゼキエル17・23)