いそちゃん

いそちゃんから葉書が来た。「12月1日に訪ねる」とわたしが出した手紙への返事だ。
彼女から葉書や手紙が届くと、まずその字をみつめる。その一字、一字を書いている姿が目に浮かぶ。その一行は、わたしが手紙一枚書くより、もっと時間と力がこもる尊い文字だ。
いそちゃんは右手が使えず、左手首に力が入らないので、机に左手首をのせ、ゆっくり、ゆっくり書いたはず。「丁寧にしか書けないんです」と、やはり同じハンセン病の方が言われたように、いそちゃんも丁寧に、一字、一画を書いたにちがいない。腰をかがめ、不自由な目を近づけて。
もう40年のつきあい。わたしは毎年1度、牧師、伝道者があまり訪ねない冬にたずねるが、最近、療養所の部屋が変わったから注意してとの葉書だ。
40年前はそこだけで600人も患者がいて、燃え立つようなキリスト信仰があった。今はハンセン病はすべて治癒し、多くは退所して、からだが不自由な方150人ほどが住んでいる。看護師が60人、介護人や事務職員、給食世話人を加えるとかなり手厚い介護。かつて国家が加えた、ひどい仕打ちへの、せめてもの償いか。
「では乱筆、乱文にておしらせまで。神様からのお守り、お導きがありますよう、祈りながらお待ち致しております」。12月1日、久しぶりに会うのが楽しみだ。
「そのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる」(1コリント13・12)