妻の髪を刈る、信仰の髪型

妻の髪を刈った。去年の夏、クリスチャンの美容師・本江慶子さんが、突然の交通事故でなくなられるまで、毎月わが家に出張して、母と妻の髪を刈ってくださっていた。以来わたしが妻の髪を刈る。
わたしはちょうど40年間、自分で頭の髪を切ってきた。妻には手伝わせない。だから鋏の扱いにはなれている。そして他人の髪を刈るのはなんとやさしいかと思う。
第一、刈る髪の毛が自分の目で見える。左手の櫛で巻きあげながら右手で鋏が入れられる。
自分の頭を刈るときは、まず両手で右がわの毛をつかみ、横に伸ばし、それをひねり、ねじり、束にして、左手でつまんで、右手の鋏で何度もタテに切る。左も、後ろの髪も同じ要領だ。しかも鏡の前だから左右逆に見える。
第二に、髪の風合いを量りながら、ぎざぎざに切れる鋏も使える。鋏を入れては櫛けずり形を整えられる。とくに妻の髪は柔らかくカールしているので刈りやすい。
第三に、細部にまで鋏が行き届く。髪はどうしても切り残しが出る。それが見える。
キリスト信仰の髪型も時どき整える必要がある。伸ばし放題は信仰の形をくずす。崩れた信仰の形は、三つの鋏さばきで整う。毎日聖書を読む。毎週、教会であろうと、家であろうと、主を礼拝する。自分の力を他人のために使う。すると形がよくなり美しくなる。
「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(マタイ10・30)