キリストに捕えられた人々

きのう、国立ハンセン病療養所・東北新生園の「いそちゃん」をたずねたあと、別棟の夫婦の部屋に入った。ご主人は右手の指二本がなく、いつもゴムを巻いていられる。「どうして」と聞くと、「感謝なことに三本残っていますから、ゴムにボールペンを差しこむと字が書けるんです」といわれた方だ。「いつも丁寧な便りをいただいて」の返事が「丁寧にしか書けないんです」に衝撃を受けた方だ。夫婦並んで聖書の話を聴いてくださった。
その帰り仙台に寄った。わたしが伝道者になって、初めて、1978年に洗礼にあずかった第1号の方と会った。息子夫婦が経営されるレストランに案内された。その夫婦も1983年、そろって洗礼を受けられた。母上が入院後初めて礼拝に出られたとき、付き添いで来られ、以来ご夫婦で出席。ある日曜の朝、電話で「きょう洗礼を受けたいのです」と言われる。しかも「洗礼を受ける決心を妻にしたら、あらいやだ、わたしも受けようと思っていた」とのこと。
十分な洗礼教育が必要という考えもある。しかしあのエチオピアの宦官が、荒野で伝道者フィリポから「イエスを福音されて」オアシスにさしかかり、「ほら水だ!」と叫び、洗礼を受けた記録もある(使徒8章)。三人は永くキリストに捕えられている。きのう食事のあと、お孫さんとひ孫さんにイエスの話をした。
仙台から新幹線に乗ると「次ぎは大宮」に驚く。東京まで1時間半。楽しい1日だった。
「宦官は言った。ほら水だ。洗礼を受けるのに何の妨げが」(使徒8・36)