肥満体、肥満教会

きょう、中央線の三人掛けの優先席に座っていると、空いていた真ん中へ、無理でないかと思うのに、肥満体の五十がらみのコートで着ぶくれた男性が座ってきた。わたしは横に押し付けられ、息をするのも苦しかった。
以前米国で肥満の男女が多いので驚いたが、日本でも最近は小学生から肥満児がいる。好きなだけ食べ、運動が足りないのでないか。それに肥満体になるほど運動がしにくくなり、食費がかかり、衣服も特別注文で社会的損失は大きい。むかしの日本人は、筋肉質で、やせ気味でも運動能力は高かった。いや、スリムだからよく動いて力持ち。貧しくはあっても健康だった。
キリストの教会もそうありたい。肥満教会になってはいけない。スリムできびきび動ける教会がいい。一時、教会でもスーパー・チャーチといって、米国や韓国で、数千人、数万人の教会がもてはやされた。これは教会の肥満化だ。外見はりっぱだが、動きが鈍くならないか。しかし「人は生まれながらカトリック」。大きなもの、りっぱなものに惹かれる。ただイエスの目は違う。逆に小さいもの、コンマ以下に目を注がれた。
教会を大きくするのをやめましょう。主を大きく喜ぶ教会になりましょう。自分たちが大きくなるのでなく、主キリストのみが大きくなることを求めましょう。
「彼らはみな、主の名を唱え、一つとなって主に仕える」(ゼファニア3・9)