インプット、アウトプット

インプット(入力)、アウトプット(出力)というパソコン用語はもう日本語になじんだ。何事によらず大事なのは、この「入」と「出」だ。パソコンに入力するのには「努力」がいる。とにかくキーを叩かねばならない。それが「出力」して結果を生む。
日本語では「出入り口」とか「出船入船」と、「出」のつぎに「入」が来るが、自然な人や物の動きで、パソコンの「入力」「出力」にこめられた「努力」「結果」という意味あいはない。
しかしインプット(入力)には、そこに働きかける力がある。おとめマリアに聖霊がインプットされた。マリアはみごもり、月満ちて初子を産んだ。
ある人がキリストを信じるのも、聖霊がインプットされたからだ。「聖霊によらなければ、だれもイエスは主であるとは言えない」(1コリント12・3)。もしその人が「イエスさま」と祈れるなら、すでに聖霊を受けている。そして聖霊はその人から出たり、入ったりされない。留まってくださる。ただ「聖霊を悲しませるな」(エフェソ4・30)と教える。逆にいえば「喜ばせよ」ということ。
つまりアウトプット(出力)の結果が大事だということだ。聖霊によって信仰が入力され、その信仰の働きが出力しなくては、結果として見えない。ありがたいことに、その出力の判定は、働きの大小でなく、キリストを喜ぶ大きさだ。
「喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい」(ヤコブ5・13)