本屋から消える本、残る本

大きな本屋へ入ると、凝った装丁と題名の新刊書が、目立つ場所に肩を並べて平積みされている。しかしひと月もすると、平積みのまま残るのは少なく、多くは取次ぎに返本され、廃棄されるか、新本の安売りに廻る。
返本を免れた本も、ひと目に立つ平積みから、棚並べへ追いやられる。ところが良く売れる本は、新書や文庫本に姿を変え、買いやすい値段で版を重ねる。この永く読まれる本がロングセラーとして残る。
新渡戸稲造の「武士道」が100年読み継がれているのはすごいことだ。明治の文豪の森鴎外夏目漱石でも、文庫棚にならぶのは少ない。あの内村鑑三でも、もう姿を消した。文章は格調高いが硬い。キリスト教では三浦綾子や、遠藤周作の命が長い。
だから「聖書」の存在がひときわ目立つ。2000年前の本なのに、大きな本屋なら必ずある。なぜか。理由は二つ。
第一はその内容。人間の罪、悲嘆、絶望、救済、十字架の死、復活、天国。つまり人間の悩みからの解放、さらに永遠の生命まで、壮大な神とキリストの義と愛の約束の物語りだ。
第二は、たえずその民族のことばに、しかも現代のことばに翻訳されつづけたこと。聖書は世界の1000のことばに翻訳されている。こんな本はほかにない。
「聖書はわたし(イエス)について証しをするものだ」(ヨハネ5・39)