「開戦」と「敗戦」、「残念」と「万歳」

1941年12月8日の朝、65年前のけさ、不意打ちのように戦争が始まった。「大本営発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」のラジオ放送で、日本人は突然の「開戦」を知った。伝道者・政池仁先生はそのラジオを聴いて「残念!」と憤慨。しかしほとんどの日本人は「バンザイ!」と叫んだ。そのあと矢継ぎ早やな、イギリス戦艦撃沈。グアム、香港占領、ルソン島上陸。真珠湾攻撃での大戦果に狂喜したのだ。
1945年8月15日の昼、天皇の肉声初ラジオ放送が全国に流れた。「堪ヘ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」と、とぎれとぎれの雑音だったが日本人は「敗戦」と知った。政池仁先生は東京で「バンザイ!」と叫んだ。多くの日本人が「残念!」と嘆いていた。
この「開戦」と「敗戦」のラジオ放送をめぐり、政池仁先生が取られた行動と、ふつうの日本人が示した行動が、正反対だったのをあとで知って驚いた。こういう方を預言者というのだなと思った。
政池先生は社会科学者ではない。平和主義のため旧制静岡高校の化学教授を辞し伝道者に。しかしキリスト信徒は、この世におかれている限り、主を喜ぶとともに、時代に対し批判精神も持たねば片手落ちだ。いや聖書を熟読していると、その目が養われるのだ。
「老い深く衰えにむく日々にしてまなこ研ぐべし心研ぐべし」(詠み人知らず)。
「日を重ねれば賢くなるというのではなく、老人になればふさわしい分別ができるのでもない」(ヨブ32・9)