見つめる人・ヨセフ

マリアの夫・ヨセフは見つめる人であった。
まず夢の中で天使を見つめた。それも4回。最初は「聖霊で身ごもったマリアを受け入れよ」。二回目は「エジプトへ逃げろ」、三回目は「イスラエルへ帰れ」、最後は「ガリラヤへ隠れよ」。
「天使のような」という表現がある。それは<汚れない><清らかな><美しい><いつわりない><うれしい>存在だ。 人間、いつも<うれしいもの><真実なもの>を見つめることが大事だ。本物を見つめていれば、にせものはすぐ分かる。そのあとヨセフはマリアを見つめる。東の博士を、羊飼いを見つめる。すべて<真実な><喜び>の人たちだ。
マリアが受胎告知を告白するその目をヨセフは見つめる。それは悲しみ交じる喜びであった。しかし天使のように嘘いつわりがないと見た。またベツレヘムの馬小屋では、東から来たという、旅疲れした学者風の三人づれの男性が、むちゃくちゃに喜んで赤子を拝んでいる姿を見つめた。さらに夜間労働者の羊飼いたちが、ぷんぷん草いきれさせながら「メシアはどこか」とたずねてきた光景を見つめた。
ヨセフは聖書で無言だ。しかし本物を見つめた人だ。しかも天の光をマリアに、とくにイエスに当てて自分は消えた。あっぱれ。
「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた」(マタイ1・24)