教会でもクリスマスやるの

「おや、教会でもクリスマスやるの」と冗談が飛ぶほど、今の日本では教会より、教会以外のほうがクリスマスに熱心だ。街にはクリスマスの曲が流れ、メリー・クリスマスの色文字があふれる。すべて金儲けのため、自分たちが楽しむためだ。
それを象徴するように、わが家の西となりの4棟のマンションの中庭に、ことしも巨大なクリスマスの電飾がともった。むかしのルーテル神学大学跡地にそびえる、そのヒマラヤ杉は6階のマンションより高い。そのてっぺんから白、赤、緑、青の12条の長いランプの電飾が垂れ下がる。東京でももっとも高いクリスマスツリーの一つだ。ところが近くのルーテルむさしの教会の中庭には、鉢植えの1㍍ほどの電飾がぴかぴか光る。この対照がいい。
「えっ!教会でもクリスマスやるの」。これは今の日本では、教会にとって言われて恥かしい言葉ではない。教会はうす暗いほうが、かえってクリスマスにふさわしい。
君は馬小屋に入ったことがあるか。あのうす暗いベツレヘムの馬小屋。鼻を衝くくさいにおいにむせてマリアは産気づいたに違いない。馬は立って飼い葉を食べる。だから飼い葉桶は馬の首の高さ。馬に蹴られないヨセフの智恵だ。暗く、くさく、汚い小屋は、日本の小さな電飾の教会と結びつく。それがいい。イエスさまもお喜び。
「マリアは月が満ちて初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(ルカ2・7)