何事もなかったような師走

あさ目がさめる。立ち上がれる。電気がつく。新聞が来ている。空が青い。トイレの水が流れる。ゴミ収集車が来る。妻と賛美歌が歌える。朝めしがうまい。
聖書が読める。パソコンが開ける。メールが打てる。バス停まで歩ける。電車があたりまえのように走っている。「スイカ」をかざせば駅に入れる。
古い友人をたずねる。信仰の話をする。ご恩になった先生がたの話に花が咲く。帰りスーパーで買い物をする。買い方がうまいと妻がほめる。ブログを書く。平和な2006年の師走。
何事もなかったように社会が動く。これが平和。これが恵み。電気もガスも、電車もバスも、ゴミ収集車も救急車も、あたりまえ、当然のように動いている。これは当たり前ではない。ただならぬ特別の神の恵み。
戦争は残酷。敗戦は悲惨。2006年の庶民のあたりまえの衣食住は、1946年の王侯貴族。もし電気やガスが止まったら。電車やバスが動かなければ。トイレが流れず、ゴミの収集車が来なければ。60年前の師走の東京は、またしても停電、電車はたまにきても超満員。トイレは汲み取り。それも滞る。出すゴミもなく、空腹つづきで飢えた。
何事もなかったように社会が動く。それが平和。それが主の恵み。平和憲法は日本の冠。
「なんという恵み。なんという喜び」(詩篇133・1)