竹の杖、主の杖

shirasagikara2006-12-18

竹の杖をいただいた。もう15年も前だ。ご自宅の庭に生えるしゅろ竹で作られたもので、曲げた根が杖の握りになる。軽い。それに強くてしなやか。杖を頼りに歩くほどではないが「転ばぬ先の杖」と、時どきステッキ代わりに手にする。
杖の効用はある。電車で立っているとき、三本足だと揺れに強い。また杖と白髪に驚くのか、席を譲られることが、杖なしより多い気がする。
むかし旅人は杖をついた。山を登り川を渡るさい杖が頼りになる。また野犬を追い払い、野獣と戦える。ヤボクの渡しで、ヤコブは「むかし一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡り」と言う(創世記32・11)。
しかしイエスは、伝道に出で立つ者は「杖も袋もパンも金も持ってはならない」(ルカ9・4)と教える。これがなければ困るというものを捨てよと言われるのだ。その呼吸が会得できた者がまことの伝道者になる。
伝道者・藤井武は生活に窮し餓死の決心をした(7月15日ブログ)。その師・内村鑑三も生活に窮した。京都に住んでいた明治27年か28年の暮れに、妻の実家が見かねて正月用の餅をくれた。内村は鴨川の橋の上からその餅を川に投げた。二人とも杖を折って、まことの伝道者になった。そうだ。わたしたちの杖はキリストご自身だ。
「あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」(詩篇23・4)