視野狭窄(きょうさく)

感謝なことに、娘はくも膜下出血の手術から回復し、退院して自宅に帰れた。
しかし左目の視野狭窄が残っている。病院のエレベーターで、まだ左側に降りる方がいるのに、気づかず乗ろうとしたり、左のある角度がよく見えないらしい。
石原都知事が、息子を「余人をもって替え難い」と、外国へ公費派遣したのは身びいきだと批判されている。視野狭窄で親には見えない。
本間正明政府税制調査会長がきょう辞任した。公務員宿舎に家族でない女性と同居していたと批判されたからだ。大阪大学教授ともなれば、女性関係が問題になるとわかりそうなのに、視野狭窄に落ち入ると見えなくなる。
聖書にも、あちこちに視野狭窄の人物があらわれる。まずはエサウ。腹がへって長子の特権を煮豆と引き換える。ダビデ王でも、生涯にただ一度、視野狭窄を起こして、女性問題で失敗する。預言者ヨナだって主の方向が見えなくなり、ユダの裏切り、ペテロのつまずき。これぞというひとかどの人物にこれが起きる。驕りが出るのだろう。
エスは「自分を高くする者は低くされる」と教えた。そのイエスは神の子であるのに、一番低くなられた。馬小屋で生まれた。十字架で刑死した。だから一番高くなり、2000年慕われつづける。
「イエスは言われた。『もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが<見える>と言い張るところに、あなたがたの罪がある』」 (ヨハネ9・41)