キリスト・マス、ミサ、メッセ

「聖菓切る基督(キリスト)のこと何も知らず」(山口波津女)
わたしはむかしから、その言葉の意味を考えもせずクリスマスを口にしていました。しかし、ふと「マス」は何かと気になりました。すると「マス」は「聖餐」のことでした。
千葉県に「幕張メッセ」という大きな商品展示場がありますが、このドイツ語の「メッセ」も、ラテン語の「マス」も、英語の「ミサ」もぜんぶ聖餐のことでした。
ですから「クリスマス」とは「キリスト・ミサ」のことです。つまり「大ミサ」で、たくさんの信者が大教会に集まるので、抜け目のない商人が教会前の広場で、みやげ物を売り、ドイツではいつしか「メッセ」が、商品市・大市の意味にもなりました。
しかし、イエスさまの誕生を祝うのに、十字架のシンボルのパンとブドウ酒の最後の晩餐がくっつき、誕生とその死を一つにし、その人の最後から初めをみるバースデーなど聞いたことがありません。それに人が死んだらふつう誕生など祝いません。
クリスマスの物語りや絵画では、どれも大きなマリアさんが、小さなイエスさまを抱いています。しかし最後の晩餐の十字架から誕生を祝うとなると、マリアは小さくなり、イエスさまが大きくなります。「クリスマス」は、大きなイエスさまの物語りの始まり。
「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(ルカ2・12 )