クリスマスを祝うのは国賊

きょうはクリスマス。しかしクリスマスを祝うのは国賊といわれた時代があった。
わたしが小学校5年生だった昭和10(1935)年ころ、電柱や民家の壁に、白い紙のまん中へ真っ赤な日の丸を入れ、上に「国賊」と印刷。日の丸の右にはタテに「大正天皇祭に」と書かれ、左には「クリスマスを祝う」の字が貼られていたように思う。
「賊」とは「山賊」「海賊」など悪者のことで、「国賊」は国家への不忠な謀反人の意味だ。わたしは子どもながら、自分の一家の進んでいる方向と国の方向が違うと感じた。
じつは今の天皇のおじいさんの大正天皇が、大正15(1926)年12月25日になくなった。翌日から昭和元年にかわり、昭和2年からこの12月25日が「大正天皇祭」として、国民服喪の日となった。つまりクリスマスへ大正天皇がぶつかって来たわけだ。
昭和10年という年は、軍部は中国の北京近郊や天津に出兵し、「天皇機関説」という美濃部達吉博士の学説を槍玉に挙げ、日本国中「国体明徴運動」で沸き立った年だ。
キリスト教会は、そんな脅しに屈せず、クリスマスを教会で祝いつづけた。そして大正天皇祭は日本の敗戦で消え、クリスマスは何事もなかった顔をして、今日も祝われる。滅びるものと、残るもの。弱々しいイエスの物語りが地を継いでゆく。
「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」(マタイ5・5)