完走

「この年はブログ書かむと決めしより日ごと天よりマナ降りやまず」
ともかく元日から毎日ブログを書いて、きょう最後のひとつを書く。マナが降ったなと思う。マナは「期待と不安と信頼」の物語りだ。荒野のイスラエルもそうだったに違いない。「きっと書かせてくださるという期待」。しかし「あす何が書けるかという不安」。そして「また書かせてくださったという信頼」。そのくり返しだ。すると信頼が確信になる。
手当たり次第、身近な目につくことをとらえて題材にした。改革者ルターは「どんな聖句の一つを与えられても、それで説教ができるのが伝道者」といったが、どんな題材でも、目をこらすと何か書ける。家内は「あなたはこじつけマン」と笑う。
ありがたいことに、季節はかわり、花は咲き、木の葉は散り、つぎつぎ事件は起こる。またその日、その時の記憶がよみがえり、けっこう書くことにこと欠かない。
このブログを開けぬ方が、カナダの娘さんに頼み、ブログをコピーしてファックスで送ってくれると聞き驚き励まされた。また日本でもコピーして配ってくださる方々がいる。
老伝道者が居ながらできる「文書伝道」のつもりで始めたがうまく書けなかった。
来年は「主ゆるしたまわば」週に1回くらい書きたい。
「(マナを)多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことはなく」(出エジプト16・18)