亡んだ日本、芽吹いた正義

明治の終わりに夏目漱石は「この日本は亡びるね」と書いた。昭和の初め、藤井武は日本は「亡びよ」と詩に書いた。1937年、矢内原忠雄は「この日本を一度葬ってください」と講演し東京大学を追われた。いずれも理想を失った日本は亡びるとの熱い思いだ。
1945年、日本はほんとうに亡び米国が6年間占領した。その占領下、かつて日本の先覚者たちが、血みどろの闘いをつづけて実現しようとした理想が、つぎつぎ日の目をみた。
思想・信仰の自由。言論の自由。男女同権。女性参政権。労働者の団結権。農地解放。小作制度消滅。財閥解体。義務教育延長。生活保護。全国民医療保険制度。いまの日本社会の骨格ができた。占領政策と、人類の理想と、日本人の理想が合致したからできたことだ。なかでも平和憲法は、戦いに敗れた国民をいやし、日本の宝冠となった。戦死した300万人の日本兵、1000万人のアジアの民衆を犠牲にして「亡んだ日本」の上に築かれた改革だった。
占領終結から55年目の2006年が静かに暮れる。いま戦争を知らない政界、財界のリーダーが腕まくりを始めている。しかし日本は「国家の理想」を失った「亡びの道」を二度と歩いてはならない。
旧約の預言者イザヤは「亡びは定められ、正義がみなぎる」(10・22)と叫んだ。日本は亡んだが、正義と平和が芽吹いたのだ。
「正義は国を高くし、罪は民をはずかしめる」(箴言14・34)