薄い信仰・オリゴピストス

エスは時どき「信仰が薄い」と弟子たちを叱り教えられる。
たとえば、マタイ福音書では「野の花をごらん」と言ったあと「信仰が薄い」の言葉がつづく(6章)。湖水に沈みかけたペトロの手をつかんで「信仰が薄い」と叱られる(14章)。パンを忘れて心配する弟子たちにも「信仰が薄い」の言葉が飛ぶ(16章)。てんかんの子どもを治せなかったときも「信仰が薄いからだ」と言われる(17章)。
この「薄い信仰・オリゴピストス」は不信仰ではない。信じはするが半信半疑なのだ。つまり半分信じて半分疑っている。これはまことの信仰ではない。半分しか信じられない友人はいらない。半分疑い合っている夫婦は壊れかけている。
食べること、着ることを心配するなと言われても、まだ疑っている。水の上をお出でと言われても、波を恐れる。これがわたしたちの情けない信仰だ。
この「半信半疑の信仰」を、どうすれば「全幅の信頼」に変えられるのか。わたしたちが「イエスをつかんでいる」のでなく、「イエスがつかんでくださっている」と気づいたときだ。そのとき「ああ、そうか」とほっとする。肩の力が抜ける。大安心する。そこから天下無敵の底力が湧く。弟子たちも半信半疑、薄い信仰から全幅の信頼に変えられて使徒言行録の世界へ消えて行った。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20・27)