猫・ポチの死と、104歳の母

shirasagikara2007-02-05

長くわが家にいた猫のポチが土曜日に死んだ。推定年齢はわたしと同じ82歳くらい。姪が米国留学から持ち帰ったから、もう10年あまりになる。最後は姪が自室に寝かせ、口からスポイドで食べさせた。声をかけると首を上げて答えたという。庭の隅を掘り墓にして納めた。
ポチの10年は、物の用には立たなかったが、そう邪魔にもならない。とにかく静かだ。そして忍耐強い。自分が邪魔な存在だと感じると、声も立てずに移動する。その上、そこにいるだけで慰められる。思わず頭をなぜたくなる。
ポチが寝そべっていたかたわらのベッドに、104歳の母が寝ている。その母が去年、「もう何の役にも立たない」と言ったとき、わたしは「古い壺は、そこにあるだけで値打ちがある。部屋に品格が出る。みなの目を引く。見るものが慰められる」と話した。
母も今は寝たきりとなり、静かだ。こんこんと寝るかと思うと、一日中、夜中もぶつぶつしゃべる。しかし小声だ。きっと何か訴えているのだろうが、相手にされずとも、忍耐強い。そしてそこにいるだけで慰めになり、わたしも時どき頭をなぜる。
きのうの日曜日、耳元で「いつくしみ深き」の賛美歌を歌うと、唇が動き、最後は「アーメン」と言った。ポチも母も「無用の用」の大切さを教えてくれる。「そこにいるだけで人々の慰め」とはすごいことだ。
「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(コヘレト3・1)