「うれしい」一日

朝の目覚めは「さわやか」で、晴れた冬空「気持ちいい」。聖書の言葉は「ありがたく」、食べものすべて「おいしく」て、庭の紅梅「美しい」。パソコン・メールは「愉快だ」し、ブログ書くのも「かたじけない」。十二使徒像彫るのが「面白く」、腕立て伏せ50回足裏顔はさみ50回けさも出来て「いい気分」。
104の母と会うのも「楽しい」し、このごろ母のお顔が「かわいく」て、介護士の母移動動作は「あっぱれ」だ。入浴サービスはまた「見事」。妹夫婦の介護に「大感謝」。
妻の返事が「やさしく」て、ごろんと昼寝もこりゃ「楽だ」。届いた手紙も「うれしい」し、病気あがりの娘の電話も「ほがらか」だ。自転車で買い物にゆけてまだ「元気」。肉じゃがもカレーも味付けはおれがうまいと「大笑い」。これで一日が終わればほんに「しあわせ」。
きのう、紙いっぱいに、思いつくうれしい言葉を20あまり書いてみた。つぎにそれを一日の生活に当てはめて文章を作った。それが上の一文だ。
キリスト信者は、たとい悲しく、つらいことがあろうとも、いのちの一番底で主に支えられ、このプラスの言葉を指折り数えることも大事でないか。「うれしい」「ありがたい」「おいしい」と、金のかからぬ「喜び」の言葉を。考えれば、まだまだありそう。あなたも思いつくプラスの言葉を紙にしるし、「私のうれしい一日」を書いてみては。
「なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む人は」(イザヤ30・18)