その「気」なんの「気」、気になる「気」

ふと「気づく」と、なんと日本人は「なに気なし」に「気もち悪い」ほど、「気」という字を、身のまわり一切の出来事に「気にもとめずに」使いこなしているかと驚きます。
気(け)高い、気品、気位、気軽、気長、気短、短気、強気、弱気、陽気、妖気、平気、元気、根気、殺気、毒気、気合、合気、気絶、気違いなど
日本国語大辞典」で「気」を調べると、出てくるわ、出てくるわ、あきれるばかり。
気が利く、気が合う、気がはずむ、気がはやる、気が小さい、気がすむ、気がせく、気が向く、気が変わる、気色がわるい、気がとがめる、気がかり、気が置ける、気が早い、気が散る、気が多い、気が滅入る、気が沈む、気が狂う、気が重い、気が抜ける、気が遠くなる、気に入る、気にくわぬ、気がね、気の毒、気をもむ、気おくれ、気を失う。気を病む、気を静める、気をもたす、気を引く、気を入れる、気が気でない、気晴らし、気まずい、気まぐれ、気まま、気くばり、気張る、空気を読む、気もそぞろ。
日本の剣道、柔道、合気道など、集中した精神性が求められる武道では、とくにこの「気」がたいせつにされました。それどころか、少年野球や、サッカーでも「気合を入れろ!」と、ふつうに使われ、工場労働者でも、たるんでいると「気合が入ってない」と叱られます。とても「気」は、日本人にとって、日常、ふつうのものでありながら、たいせつなものなのです。

の「気」は、「心」とも「霊」とも違います。霊は聖書で、「風」「息」という意味もあり、もっと根源的な、もっと宇宙的な、神の力を示しています。しかし気も、人間の力を超えた、大きな力を意味することばです。 この奥深い「気」という言葉を、かくも「平気」に、日常茶飯事のように使っている日本人は、一歩進めば、聖書の説く「霊」に案外「気づく」のも早いのでないかという「気」がしてきました。この「気にもせず」使っている「気」が「気になる」このごろです。 「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に<気づかない>のか」(マタイ七・三)