天衣無縫・天下無敵の松田敏子さん

きのう浜松の老人ホームの松田敏子さんから便りがきました。四月の終わりにカナダへ旅行するとのことです。それも「アゴアシ付」(食費旅費付)で。ガンも精密検査で転移なしと書いてあります。
「ガンはほんとうに、ありがたい病気だと感謝しています。地上最後のすまいも備えられ、死に仕度もゆっくりでき、死と向き合うこともでき、わたしの晩年を豊かに、深くしてくれているように思います。ガンが消えることよりも、ガンさんと共に、天寿をまっとうできる幸いを感謝しています」。ここまでくれば天下無敵。「ガンさん」も手がつけられません。
彼女を初めて知ったのは、一九九二年、山形県の山奥の基督教独立学園で開かれた「夏の学校」です。わたしは講師として招かれていました。彼女と同室の女性が、いっしょに入浴すると、松田さんが、ドアを開けるときも「アーメン」と言い、閉めるのも「アーメン」と言うのには驚いたと話されました。
その後台湾へ単身で伝道に行き、その先々で、天衣無縫のふるまいのなか、多くの台湾のクリスチャンの友人との出会いが生まれ、互いに助け合います。彼女は一万円以上お金ができると、どなたのために使おうかと考え、使うと主がまたねじこまれるそうです。
二〇〇二年、わたしの母が一〇〇歳のとき、日本女性の代表として、台湾の「第一回全国老人照顧実務研修会」に招かれたのも、彼女が「藤尾貞子の百寿バンザイ」を読んで橋渡しをしてくれたおかげでした。
松田敏子さんは、むかし和歌山女子刑務所の刑務官時代、同僚女性の影響で洗礼を受けました。あまりうれしくて、もらったばかりの暮れのボーナスを全部教会に献金しての帰り道、電車の窓に映る自分の顔があまり喜んでいるので、自分とは気づかず、「あなた、どなたさま」と思ったといいます。この喜びが、いまも彼女を動かしているのです。
三月一七日の松田さんの来信。「ある方に思い切って一万円送ったあと、別の友人が来られ、こんどのカナダの旅にと封筒を置いて帰られましたた。開けると一〇万円。一〇倍になってびっくり」) 。「貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている」(第二コリント六・一〇)