霧社事件と井上伊之助

shirasagikara2007-04-16

きのう、二〇〇七年四月一五日(日)の「朝日新聞」は、朝刊一六面の全ページを使って「霧社(むしゃ)事件」を報じました。
日清戦争で勝利した日本は、一八九五(明治二八)年、清国領の台湾を日本の植民地にしました。ところが台湾の山岳地帯に住む原住民は、平野部に住む漢民族とは、ことばも生活習慣も違い、なかには、日本人からみて野蛮な首狩り、刺青などの原始生活が残っていました。
日本の台湾総督府は、それらを改善させようとして、原住民が受け入れられない過酷な政策で迫ります。だから原住民は絶え間なく抵抗し、その最大の反日爆発が一九三〇(昭和五)年の「霧社事件」だったのです。日本統治から三五年目のことでした。
モーナ・ルーダオというすぐれたリーダーにひきいられ、山岳地帯に駐在する日本人小学校の、連合運動会開催中の日本人を襲撃して一二四人を殺害します。また駐在所を襲って武器弾薬を奪い日本軍、警察と戦いました。日本軍は山砲、野砲で砲撃し、航空機の爆撃、焼夷弾投下、そして毒ガスまでつかい、二〇〇〇人の兵士を派遣しまたが、山岳戦に苦戦を強いられ、抵抗は半年もつづきます。
二〇〇二年、わたしはその霧社をたずねました。自殺したというモーナ・ルーダオ立像や、子どもまで石で戦ったという抵抗群像彫刻を見ました。ところがいまは、台湾山地の原住民がキリスト教にどんどん改宗し、いたるところ山の上に教会堂があるのに驚きました。
なぜなら、むかし井上伊之助という日本人伝道者が台湾山地伝道を目指しましたが、台湾総督府にはばまれ成功しなかったからです。じつは彼の父親は山地原住民に殺されたのです。井上伊之助は、親の仇を討つのでなく、キリストの愛で返そうとしたのです。彼は聖書のほかに医学も学び、山地伝道を志した人物です。。ホーリネス教会出身ですが、内村鑑三を師と仰いだ人物でした。
それがいま、山岳教会の中心に埔里(ポーリ)キリスト教病院があります。ドイツ人の宣教師が看護師と女子伝道者を養成した拠点です。台湾中に女性伝道者を派遣しています。「みことばを宣べ伝えなさい。折りが良くても、悪くても」(第二テモテ四・二)<写真は抵抗する霧社事件記念群像。子どもまで石で戦う>