つばきの花、枯れ椿を彫る

shirasagikara2007-04-23

父母が茶道の教師だったせいか、庭に茶花が多い。「侘び助」もその一つで、椿の一種だ。侘び助が終わり、いますらりと伸びた赤い椿の高木が無数の花を咲かせ、つぼみをつける。その根方は赤い花びらのじゅうたん。「椿」(ツバキ)は日本の「国字」だ。中国で「椿」(チュン)というのは別の木。しかし「木」偏に「春」の「ツバキ」は日本人の感性に合う。
「椿」という名の同僚と机を並べたことがある。浅黒いおとこで、くちの悪い連中から「黒椿」とあだ名された。「椿」というJRの駅もある。山形県の米沢から独立学園に向かう米坂線の途中にある。姓にも地名にも残るのは、日本人が椿を愛した証拠だ。
すごく椿を愛した方が死んだとき、やはりわたしの別の同僚は、自宅の椿の大木に登り、咲きほこる椿の花を山のようにむしり、大きな盆に盛り、友の棺に供えた。夫人は驚き喜んだという。
一本、庭の椿の高木が枯れたので、わたしはそれで人物像を彫った。高さ40㎝、胴まわり25㎝。男性のつもりで彫ったが、見る人は女性だという。椿はけっこう硬い。それだけ彫りがいがある。いま彫っている十二使徒群像の手馴らしのつもりで彫った。
枯れた椿の木から、新しい作品ができる。枯れた骨から新しい命がよみがえる。
「枯れた骨よ、主の言葉を聞け、、、見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」(エゼキエル37・4、5)
(写真左は最初に彫った女性頭部。右がツバキの立像)