明歴々 露堂々

shirasagikara2007-06-04

玄関の壁に双幅の軸を掛けている。右には、墨で「愛は忍ぶ」と書かれ、三浦綾子の署名と印がある。左は「明歴々 露堂々」の6文字。その「明歴々」の字の左脇に、三浦綾子と署名され、少し小さめの朱印。「露堂々」の右脇に、宗羊の署名と花押。宗羊はわたしの父の茶道の名前だ。三浦綾子先生と父が一幅の軸に3文字ずつ書いている。
その「明歴々(めいれきれき)」は、すべてのことが、はっきりとあかるいさまで、「露堂々(ろどうどう)」は、小さくはかない露でも、玉のように堂々とした風格のあるさまをいう。
朝露は、ひとしく天から地面にくだる。しかし同じ木の葉でも、朝日が射すとすぐ露が消える葉と、あとまで玉のような露を載せる葉がある。
いつも牡丹の葉が見事な露をのせている。よく見ると牡丹は、ほかの木の葉より葉脈の彫りが深く、まるで人間の手のひらのしわのように、切れ目が多いのだ。肉厚な椿はころりの露を落とすし、あまり薄い葉では露の重さに耐えられない。牡丹は葉がしっかりして、露を受け止める仕掛けができている。
主の恵みもひとしく、すべての人にくだる。その恵みの露を甘露として受けるため、こころのひだを深くして、ありがたく頂戴する仕掛けを工夫したい。
「なんという恵み、なんという喜び。、、、ヘルモンにおく露のように、シオンの山々に滴り落ちる」(詩篇133・2、3 )