舟はゆったり漕ぐがいい

shirasagikara2007-06-24

わたしは舟を漕ぐのが好きだ。東京の隅田川の一番下流に「勝鬨橋」がある。むかし、その橋のたもとに貸し舟屋があり、ときどき舟を借りて大川を漕いだ。江戸の掘割りをさかのぼって、下から数奇屋橋を見上げ、浜離宮の脇を下った。
この和船を漕ぐのは、一見のどかに見えるが簡単ではない。複雑な動作がぎゅっとつまって、単純に見えるのだ。
舟漕ぎの要点は二つ。舟の艫(とも)の艪べそに、長い艪(ろ)の真ん中へんにあいた穴をかちっとはめる。つぎに艪の端に出た握り棒に、舟べらからの艪づなを結びつけ、ピーンと張る。綱がゆるむと艪べそが外れる。あとは艪べそを中心に、艪を押したり、引いたりして舟をあやつる。つまりピ〜ンと綱を張りつつ、ゆったり漕ぐのがコツだ。
キリスト信仰も元来単純だった。その要点も二つ。それは十字架と復活。原始教会は聖書はなく、会堂もなかったのに、どんどん信者はふえた。それは主の十字架で罪ゆるされ、主の復活で永遠の命の約束を喜んだからだ。この二つに、複雑だが単純に見える、ものすごい神の愛がぎゅっとつまっている。
舟を漕ぐのは楽しい。また漕ぎたくなる。キリスト信仰もまた喜びだ。あまりうれしくて命がけの迫害に耐えるほどだ。舟も、キリスト信仰も、「ピ〜ンとしながら、ゆったりと」という、二つの支点が大事なコツだ。
「神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。それだけではなく、患難をも喜んでいる」(ローマ5・2、口語訳)