空飛ぶ信頼のかたまり

82歳にもなって、また飛行機でアメリカまで行ってきた。
初めて空路外国へ行ったのは、ちょうど40年前の1967年の訪韓。以来、6度の聖地巡礼をふくめ何十回乗ったことか。そして一度もこわいと思ったことはない。むしろ、わくわくする喜び。離着陸時や、乱気流のときは、多少がたがたするが、たいていは直線の高速道路をまっすぐ進む感じで、ほとんど振動もない。機内ではみなさん、安心し切って運ばれる機内食をほおばったり、ぐっすり眠っている。暗黙のうちに操縦士や整備士の技術を信じているからだ。しかし考えてみれば、引力にさからい空を飛ぶ、こんなあぶない乗り物はない。だから飛行機は乗客の信頼を乗せて飛んでいるのだ。
キリストの教会も空飛ぶ集団だ。地上から見ると墜落しないか危なかしく見える。しかしキリストを救い主と信じて乗り込んだクリスチャンは、キリストの十字架と復活により、磐石の救いと永遠のいのちをいただき、夢のような「救いの飛行機」に乗せられるのだ。操縦士はイエス・キリスト聖霊。客室乗務員は十二使徒
頭で考えて、こわいと思わず、信じて乗り込んでみると、こんなに楽しい場所はない。機内の教会では、みなさん、安心し切って、食べたりぐっすり寝たりする。そうだ、教会は、危なかしい空を飛ぶ信頼のかたまりなのだ。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20・27)