墓はからだった

shirasagikara2007-09-24

きのう家内と多摩墓地の藤尾家の墓参りをした。千利休の小さい墓にあこがれた父は、タテ20センチほどの墓を造った。真ん中に十字架を入れ、右に父の筆で「主キリストに愛される」と彫り、左に私が「藤尾家之墓」と書いた。
人間だけが「墓」を造る。古来どの民族でも、人生の始めと終わりを大事にしたのだ。その墓は生者が死者を思い出す場所だ。ギリシヤ語では「墓」と「思い出」は同じ語根。権力者は自分を思い出させるため、ピラミッドや巨大墳墓を造らせた。
地上の財産形成には無欲のアブラハムも、唯一の不動産としてマクベラの墓を買った。孫のヤコブはエジプトで死んだが、遺骨はその墓へ運ぶようにとこだわる。
しかし墓は永遠ではない。エジプトの50あまりのピラミッドの多くは崩れ、また砂に埋もれた。日本の古墳も盗掘で荒らされた。
そしてキリスト教は、「墓は空(から)だった」というイエスの復活から始まる。だからキリスト教徒は「墓は永遠」とは見ない。終末の日の「主の来臨」までの「仮のもの」。「聖地奪還」それも「聖墳墓を守る」を旗じるしにした十字軍(クルーセード)の戦いは、「墓は空だった」という聖書の記述からみても滑稽だ。
キリスト信者が死ねば、その霊は直ちに主のもとに召される。そして終末の日に霊体によみがえる。墓はそれまでの「仮の宿」だ。(写真・墓の左隅に立つのは聖地の糸杉)
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」( ヨハネ20・1 )