「美しい国・総理」の「醜い最期」

ちょうど1年まえの2006年9月26日、「美しい国」を掲げて発足した安倍晋三内閣は、あわれ同じ9月26日に福田康夫政権と交代。前代未聞の「醜い最期」。何が醜いか。
7月29日の参院選で歴史的大敗をしながら、退陣を決意できなかった精神の弱さだ。自民党惨敗直後、麻生太郎外相が「辞めるな、支える」と言ったというが、それに乗った安倍総理自身の志の低さが情けない。
政治とカネの事件で4人の閣僚がつぎつぎの不祥事。還元水や絆創膏で醜行をさらしたさいもそれをかばい断乎とした処置がとれず、辞任や自殺に追い込まれた醜態。
年金不明記録5000万件に「最後のお一人まで、わたしがお救いします」と高言しながら、政権を投げ出した無責任。
きわめつきは、9月11日、臨時国会の施政方針演説で声を張り上げつつ、翌12日の代表質問の直前に「辞〜めた」姿は大醜態。「病気だった」とあとで釈明したが、あとの祭り。
敗戦後の日本の政治家には、軍国主義の弾圧をくぐった骨太の政治家が並び立った。また片山哲総理や、松岡駒吉星島二郎らの衆議院議長河上丈太郎社会党委員長など、クリスチャン政治家も数多く輩出。
松岡駒吉は、議長席でまず祈ってから開会を宣言。高良とみ議員が始めた「国会祈祷会」も議員会館で長くつづけられ、河上民雄、金子みつ議員の部屋での会合にわたしも何度か出席した。「哲人宰相」は出なくてもいい。せめて「醜い最期」をとげる「坊ちゃん総理」は願い下げだ。
「わたしは若者を支配者にした。気ままな者が国を治めるようになる」(イザヤ3・4 )