イエスの愛がまずあって

天の泉にまんまんと/イエスの愛がまずあって/そこからわきでて滝となり/四方にあふれて流れゆき/地のはてまでもうるおした/飲めばおいしい天の水/どこから来たかもかんがえず/毎日のどをうるおした/ある日この水なぜうまい/ため池の水はまずいのに/ふと思ったのがはじまりで/水源たずねてたどりゆき/やっと探した天の池。
そこで見たのはイエスさま/なんと十字架につけられた/その釘あとの手をひろげ/わたしはあなたを待っていた/わたしの愛をうけてくれ/君はこれまで知らないで/わたしの水を飲んだけど/わたしは気づいてほしいのだ/神さまなんか知らないと/背中をむける罪人が/悔いあらためて向きをかえ/十字架・復活のキリストを/信じるならばことごとく/罪ゆるされてとこしえの/いのちに生きるのびやかな/イエスの世界に気づくはず。
めぐみの水を飲みながら/気づかなかったこのわたし/こんなわたしでいいですか/いいもわるいもわたくしは/だめなものこそ救いたい/ひとになじられ気落ちして/自分自身をもてあます/そんな君こそいとおしい/君がりっぱになったから/君の信仰深いから/救うのではありません/わたしの愛がまずあって/君をつかんではなさない/ただそれだけの話です/こんなめぐみをいただけば/ちからのかぎりエスのため/いのちのかぎり生きまする。
「<キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた>という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」(第1テモテ1・15)