枯山水の庭

shirasagikara2007-10-29

この春、庭を改造した。82歳にもなり、手のかからない老人むきの庭にすることを考え、名古屋の造園家・池田睦さんに設計を頼んだ。池田家とは1978年から16年間、毎月家庭集会にうかがい泊めていただいた仲。
そのさいの条件は三つ。高木、灯籠、大きな石、蹲(つくばい)は動かさない。バラなどのガーデニングはやめるが、四季それぞれの花が楽しめること。眺めるだけでなく歩きまわれ、物干しも備える。
睦さんは二度下見にこられて枯山水の庭を提案された。寒い2月のすえから3月にかけ1週間ほどで庭は一変した。30個ほどの飛び石は棚田に見立てた石組みとなり、雨水は透すが下から雑草は生えないシートが張られ、その上にこまかい白川石が敷きつめられた。また枕木を化粧レンガと組んだ洋風の部分もできた。
枯山水の庭は、水がないのに、あたかも白く流れているかのように見立てる。また純白のさざれ石の石英質が角度で光る。そして禁欲的だ。以来、白砂に落ちた葉をひらうのが日課となった。白い砂は1枚の落ち葉も目立つのだ。
キリスト信仰も、見えないキリストを、あたかも見ているかのように祈り語る。そしてあちこちで、人々の信仰がきらりと光る。また罪に敏感になる。枯山水とは面白いことばだ。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(第2コリント4・18)
主婦と生活社・07年10月刊「ガーデン・リフォーム」に、わが家の庭も2頁掲載)