韓国語に訳された「乗松雅休 覚書」

shirasagikara2007-11-26

神さまは不思議なおかた。自分をかくそうとした人物を押し出される。高い山が遠のくほどそびえるように、主が選ばれた人物は時代をへるほどそそり立つ。大野昭牧師の「乗松雅休・覚書」(キリスト新聞社)が、韓国語に翻訳出版されたと聞いてそう思った。
乗松雅休(のりまつ・まさやす)は、日本人で最初に海外伝道に出かけた人物だ。1896(明治29)年12月のこと。その前年、日本公使が指揮した朝鮮王妃虐殺の「閔妃(ミンビ)事件」があり、日清戦争後わがもの顔で朝鮮をあるく日本人への憎悪は頂点に達していた。
彼はただ、うちのめされた朝鮮の民にキリストの福音を伝えたかった。最初覚えた朝鮮語は「ハナニム」(神様)の一語のみ。それがのち「どこで日本語を習ったか」と聞かれるほど朝鮮人になりきった。朝鮮の家に住み、同じ食事、同じ服装で、子どもにも日本語を教えず、1914(大正3)年、病いを養うため日本へ帰国するさい、水原(スウオン)駅頭に別れを惜しむ数百人の信徒が群集し、日本人が一人去ると、鬼が減ったと喜んだ当時、人々は驚いたという。
大野牧師は乗松の外戚にあたり、本書はこと乗松にかんする資料をもうらしている。韓国訳は、日本人名や固有名詞をいちいち赤字で漢字を入れた丁寧な翻訳だ。裏表紙には「豊臣秀吉の日本、伊藤博文の日本を憎みます。しかし、名もなき乗松の日本を愛します」という、李烈の長詩の一部が刷りこまれている。NYのユニオン神学校には、アジア伝道を志す学生に「乗松雅休奨学基金」がおかれている。
「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない」(マタイ10・26)
「노리마쓰 마사야스 각서」(乗松雅休 覚書)。大野昭著、イ・ジョンヒ訳。2007年8月、ソウル・개헉주의서회刊。B6、169p、7000ウオン。