満を持して新春を待つ

きょうは2007年の大みそか
庭に立つと、白梅、紅梅はすでに細枝に蕾を並べた。蝋梅もふっくらと黄色い蕾をつけた。牡丹だって枝さきに新芽をのぞかせる。
二本の花水木は小枝いちめんに円い蕾をふくらませ、奥丁子桜も春の花が楽しみなほど小枝に丁字形の芽が吹いている。50歳にもなる長男が、小学校にあがった記念に植えた紫木蓮が枝さき6畳ほどにひろがり、もういっぱい芽ぐんでいる。となりの源平枝垂れ桃も負けるものかと元気がいい。
はやくも花を咲かせているのは紅白の山茶花たちだ。それに椿が暖かかったせいか真っ赤で可憐な小花をつけた。白椿の底紅も蕾がそこここに。
真冬の庭もよく見れば春のいぶきがみちている。満を持して2008年を待っているのだ。
2008年。わたしにも願いが二つある。一つは、2003年から彫り始めた十二使徒群像を仕上げる年にしたいこと。もう一つは伝道者としての働きの最後に、初めてキリスト教にふれる人でも、読みやすい大きな活字で、持ち歩きやすいうすい冊子に、キリストの福音が素直に読める、安価な「聖書ばなし」を伝道用に何冊かつくりたい。
庭木に負けじと、わたしも満を持して2008年を迎える。83歳の春だ。ああ、信仰の師・酒枝義旗先生が召された83歳だ。
「あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる」(申命記11・12)