みんなおなじで みなちがう

shirasagikara2008-01-14

あるとき、公園のベンチに腰掛けていると、横に座った方がパンくずを撒きはじめた。みるみる数十羽のハトが舞い降り、のどを鳴らしてついばむ。身近に見るハトは、形や大きさはほとんど同じだがすべて羽根の色がちがって美しい。「完璧だな」とそのとき思った。神さまの作品は。
以来、小鳥に関心がある。たしかに小鳥は、ワシやタカのように威圧的でなく、クジャクのように濃艶ではない。ここ東京の中野区白鷺でも、時に鳥のさえずりで夜明けがわかる。ブログを書く、わたしの二階の窓のまん前の譲り葉に、ムクドリが数羽止まって梢の葉末を食べる。ベランダの手すりにプランターをかけて葉牡丹の鉢をならべたら、わたしの目も恐れず葉をむさぼる名も知らぬ小鳥がいた。(写真は譲り葉の梢のムクドリたち)
金子みすずに、こんな詩がある。
わたしが りょうてを ひろげても、おそらは ちっとも とべないが、とべる ことりは わたしのように、じべたを はやくは はしれない。
わたしが からだを ゆすっても、きれいなおとは でないけど、あの なる すずは わたしのように、たくさんな うたは しらないよ。
すずと、ことりと、それから わたし、みんな ちがって、みんな いい。
たしかに、小鳥も、人間も、民族も、みんな同じで みなちがい、みんなちがって、みんないい。神さまのみわざ、その指紋のあとは完璧。
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(マタイ6・26)