糟谷伊佐久さん

古い書類を処分していたら、糟谷伊佐久さんの詩集が出てきた。「けふのうた」(文庫判・23頁・私家版・非売品・1940年刊)。糟谷さん36歳の詩だ。
「われに来たれ/汝疲れまた重荷を負ふ者/われは柔和に心卑ければ/わが軛負ひて学べ/病床にある友よ/主の下僕等よ/いざ振へ/励め/大胆に悩め/勝利は君のものだ」。
糟谷さんは、慶応の医学部を出て聖路加国際病院の内科医になった。この詩はその当時のものだ。間もなく軍医に召集され南方の戦地へ。敗戦後信州小布施の診療所長に。さらに東京国立第二病院や、立教大学理学部教授をへて、清瀬の信愛病院長が最後。
晩年、東京都老人医療センターに入院された。同じころ糟谷さんの病室の1階上に、酒枝義旗先生も入院されていて、月に1度はお二人を見舞った。お二人は学生時代からの友人。
あるとき糟谷夫人から「主人危篤」の電話。かけつけると糟谷さんは苦しい息づかい。奥様が「藤尾さん」というと上半身を起こされた。ベッドの周りには危篤と聞いて家族がお集まり。わたしが祈ったあと、糟谷さんは、とぎれとぎれに「主よ癒されて感謝。癒されざるも感謝」と祈られた。
ところが意外にも、主治医が来て「糟谷先生は肺気腫だから退院して様子を見る」という。その帰りだ。わたしが運転する車の中で、助手席を倒して寝そべる糟谷さんが、苦しい息の中「いまわの息/かすかに/残るときも/愛をば/まさせ給え/主を愛する/愛をば」と歌い出されたのだ。いまわの息づかいの病人が、いまわの息の賛美歌を歌う。ハンドルを握るわたしの手に熱い涙が落ちた。主は生き給うと感じる壮絶な光景を忘れない。
「わたしを愛する人は、わたしの父に愛される」(ヨハネ福音書14・21)