ニッチ・すきま伝道

わたしは「白鷺えくれ舎」(エクレシアはギリシア語で教会)と名乗り、いちおう表札には掲げて福音を伝道してきましたが、会堂をもち、看板を出す、いわゆる正式の教会ではありません。いわばニッチ教会です。英語のニッチ・Niche は、壁に四角い穴をつくり、彫刻や花瓶を置く壁龕のことです。日本では「すきま」と訳されますが、本来「ぴったり、適所」の意味もあります。
昨年一〇月一七日「News Week・日本版」は「世界が尊敬する日本人・一〇〇」を特集しました。そこに紹介された日本人は、世界のかたすみで、それこそ「すきま」に入りこみ、その才能を生かしている高質の日本人ばかりでした。
むかし、早稲田大學の経済学の教授だった酒枝義旗先生の自宅で聖書講義をお聞きしたころ、「わたしたちは<もぐり>ですから」と笑われました。「もぐり」とは看板なしの無許可営業の意味です。内村鑑三の無教会は、元来もぐりのニッチ伝道でした。世界の教会史は、このもぐりのニッチ伝道と、看板を掲げた伝統教会の、二つの流れのからみあいで進んできました。
エスさまだって、当時のユダヤ教から見れば「もぐり」伝道でした。人里離れた荒野で五〇〇〇人に説教するかと思えば、人影のない井戸のそばで、一人の女性にねんごろに教え、神出鬼没、湖岸の舟から岸辺に立つ群集に教えを説かれます。
日本にたくさんある老舗は、一〇〇年、二〇〇年、三〇〇年も、がんこに伝統の業や、味を守ってきたニッチ店です。、小規模経営で大量生産をしません。しかもその老舗の多くは、裏通りの目立たない場所にあるのに、人々はその味や技量を求めてたずねるのです。
表通りの伝統教会も必要ですが、ニッチ教会も大事です。ニッチ教会が、もし福音の美味を伝え、人々がその味を求めて集まるとき老舗となります。ニッチ伝道は主流ではありませんが、教会の「すきま風」を止め、あちこちで「いい仕事してますね」といわれる、小回りの利いた、そんな老舗のニッチに、わたしもなりたい。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても」(第二テモテ四・二)