雅子妃を守る皇太子はあっぱれ

1960年2月23日生まれの徳仁(なるひと)皇太子は、一昨日48歳になられた。
「皇太子に生まれるのは、まったく不運なことだ」とおどけて語ったのは、初代総理の伊藤博文だ(ベルツの日記・1902年)。古いしきたりに、こってり塗り固められた天皇制の枠の中で、自由を奪われた歴代の皇太子は苦労した。
2004年に皇太子は「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と発言。いらい天皇家宮内庁内のギクシャクが露呈した。天皇の皇居と、皇太子の赤坂御所は、車で5分とかからない。その間に「天皇制の壁」が立ちふさがる。
さきごろ宮内庁ハケタ長官が「もっと娘をつれて両親に会われるよう」と苦言を呈したが、皇太子は「家族内の問題で立ち入って話せない」と口をつぐんだ(2月22日)。
ここにわたしは、皇太子が雅子妃を守ろうとする強い決意を感じる。天皇・皇后がなんと言おうと、長官ごときが口をはさもうと、弟の秋篠宮が批判しようと、妻の心の傷の深さを知っているのは自分だけだとの思いが見てとれる。よほど雅子妃は傷ついているにちがいない。こんなに親子関係がとげとげしいのは、美智子皇后に対しても雅子妃のうとましさが向いているのではないか。この雅子妃をうしろにかばって立つ皇太子はあっぱれだ。
聖書はいう「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2・24)。親の天皇・皇后とけんかをしても、妻を守る皇太子は偉い。
むかしからセックス・スキャンダルまみれの英国王室にくらべると、天皇家は質素で聡明だが、「天皇制の金属疲労」はすすんでいる。たしかに天皇制も永遠ではない。
「だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイ19・6)