「後期高齢者」「高貴高齢者」

いやあ、参ったなあ。だれが考えたか「後期高齢者」という呼び名。先日「後期高齢者医療被保険者証」が送られてきた。あす、2008年4月1日から発効するという。
わが家では、むかしの軍隊の称号で、70歳台は少将。80歳台は中将。90歳台は大将。100歳になると元帥。105歳以上は大元帥と私が勝手に決めている。この少将以上は「閣下」と呼ばれた高い身分。大元帥天皇だった。つまり暗くなりがちの老年を、明るく笑い飛ばすために仕掛けた、せめてもの呼称だ。
同じ屋根の下に住む、わたしは83歳で中将。妻も同居の妹も少将。妹の主人は82歳で中将。極めつけは105歳の母の大元帥。いやはや「高貴な」一家。しかし「後期高齢者」といわれると暗くなる。たしかに75歳以上はそうかも知れないが、「どんづまり」「退場まじか」「片足棺桶」と言われている感じ。
日本政府が1960年代に、医療や年金制度の長期計画を立てたとき、日本人の平均余命を74歳と推定した。まさか、2006年に男性・79歳。女性・86歳になるとは予測できなかったのだ。この4月から75歳以上に月6000円ほど保険料がかかるらしいが、政府が「後期高齢者」を優遇しようと努力するのは認めたい。医療費はかかった費用の1割負担。病院や医院で1000円払うと、実際は10000円かかっている計算だ。
米国では国民医療保険制度がないから、民間の保険に入れない4500万人の貧しい人々は、法外の費用がかかるので、医者や歯医者に行くのも辛抱している。「貧困大国アメリカ」(堤美果・岩波新書)といわれるはずだ。
ただ「後期高齢者」はいただけない。わたしは胸を張って「高貴高齢者」と読み替える。なにしろわが家は、大元帥をはじめ、きら星の将官ぞろいなのだ。
「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい」(レビ記19・32 )