聖書ってほんとうにいいものですね

映画評論家の水野晴郎さんが、6月10日に亡くなられた。テレビの映画解説の終わりに、「いやあ、映画って、ほんとうにいいものですね」という口ぐせを残された。映画を知りつくし、よほど映画を愛していないと出てこない言葉だ。
わたしはこのひそみに倣(なら)い、「いやあ、聖書って、ほんとうにいいものですね」と言いたい。
ありがたいことに、わたしは勤めが国立国会図書館、それも調査局だったので、いつも机の周りは高い書架にかこまれ、書庫に入れば、そのころでも500万冊の蔵書が顔を並べていた。
しかし、その万巻の書籍のなかで、くり返して読んだのは聖書だけだ。たぶん旧新約通巻で15回は読んだと思うが、父などはその倍以上読みこんだだろう。なぜ聖書はそんなにくり返し読む値打ちがあるのか。聖書は今も毎日読んでまた教えられるからだ。わたしだけではない。世界中の無数の人々、それも平信徒が読みつづけている。
わたしに聖書の面白さを教えてくださったのは、経済学者の酒枝義旗先生だ。日曜ごとの聖書講義を10年お聞きした。なるほど、聖書はこういうふうに読むのか、こうも読めるのかと、驚きながら先生の話を聴いた。たしかに狭い人が聖書を話すと聖書も狭くなり、きびしい人が聖書を語ると聖書もきびしくなる。酒枝先生の聖書講義は、深い学識を底に秘め、ご自身、主から教えられたことを、うれしくてたまらないかのように語られる、そのゆたかさ、のびやかさに特色がある。聞くものを笑わせ、胸を熱くさせ、キリストを指さされた。
わたしも「いやあ、聖書って、ほんとうにいいものですね」。この思いで聖書を話したい。ほんとうにそうなんだから。
「これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(ヨハネ20・23)