イエスのことはイエスに聞け

「読まない本を買うくらいなら旅をしろ」と教えられ、なるほどと、若いころから旅に出た。ふり返れば、日本国中、足を踏み入れない都道府県はない。また外国旅行も聖地巡礼のほか、あちこち外国伝道の旅をゆるされた。旅には「知らなかった」という感動がある。目からうろこが落ちる。
日本人はむかしから旅行好きで、10世紀の紀貫之の「土佐日記」に始まり、芭蕉の「奥の細道」、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」など、無数の紀行文学が生まれた。
仏教僧もよく旅に出た。なかでも13世紀、鎌倉時代の一遍(遊行)上人は、四国、九州、中国、近畿、信濃、鎌倉、さらに常陸、奥羽の平泉・江刺まで巡遊伝道している。
1世紀の使徒パウロの伝道旅行はさらに雄大。紀元46年から56年までの11年間に、32000キロの旅だ。もちろん船旅の距離も長いが、毎年、日本の本州を一周するほどだ。
しかしイエスの旅は驚くほど狭い。イエスが活動したイスラエルガリラヤ地方は、日本の伊豆半島くらいなもの。うそではない。新約時代のガリラヤは、いちばん広いところで南北55キロ、東西30キロだ。伊豆半島は南北60キロ、東西30キロ。たまにイエスも地中海のツロ、シドンに行かれるが、それもガリラヤ湖から50〜70キロにすぎない。東京から、大磯、小田原くらいだ。高い山に登ったというヘルモン山も、湖の東北70キロ。最後のエルサレム行きがもっとも遠く100キロあまり。
なぜイエスは、こんな狭い場所で、しかも3年しか活動されなかったのか。それもぱっとしない弟子12人を連れて。わからない。
あの一遍上人は、「なぜ念仏踊りで紫雲たなびき花が降るか」と問われたとき、「花のことは花に聞け、紫雲のことは紫雲に聞け。一遍は知らず」と答えた。わたしも「イエスのことはイエスに聞け。われ知らず。なんじ知るや」。
「しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い」(第2コリント11・26 )