阪神フアンとキリスト応援団

阪神タイガースの快進撃がとまらない。セ・パ両リーグの交流戦でも、優勝チームと同率の成績で、球団首位もキープ。父がいたら「バンザイ!」と叫ぶだろう。
わたしの父は、超熱烈な阪神フアンだった。わたしは巨人嫌いの、そこそこの阪神党。父は阪神が勝つと小遣いを孫に与え手なずけた。その効き目のゆえか、孫たちはいちおう阪神びいき。
阪神タイガースは、その本拠地が「甲子園球場」というのがまたいい。「甲子園」は日本の野球界で特別の意味がある。
いまは全国高校野球大会で「甲子園球児」の誇らしい名前まで生んでいるが、その第一回は一九一五(大正四)年のこと。地方予選には七三校が参加し、大会出場はわずか一〇校だった。それが年々ふえ、最近では参加校が四〇〇〇校にのぼり、勝ち抜いた四九校が甲子園の土を踏む。
野球少年にとり「甲子園」は神聖な場所だ。甲子園球場に立てただけでも、生涯の勲章、名誉、誇り、思い出になる。だから大会の一回戦で負けようと、決勝戦で負けても、甲子園の土を袋に入れて持ち帰り記念にするのだ。こんな「甲子園神聖視」は世界にない。
阪神フアンは、阪神が勝っても負けても応援する。「ダメ虎」と負けつづけた時代も、阪神フアンは応援をやめない。まして勝ったときは、試合が終わっても虎模様の黄と黒の大旗を振り「六甲颪」を歌いつづけ、ほとんど帰らない。
キリスト信仰も同じだ。キリストに救われたことは、人生最大の幸福、恵み、名誉、誇りだ。その喜びのため、キリストの評判のよいときも、悪い時代も、平穏な日々も、迫害のときも、変わらぬまことをキリストに尽くすのが信仰というもの。
徳川幕府が倒れ、一八七三(明治六)年、キリスト教が解禁されたあと、多くの武士階級の士族がクリスチャンになった。それまで「主君のため」命を捧げて生きてきたのを、「ヤソ(イエス)のため」命を捧げるのだと、すっとキリスト信仰が理解できたからだ。この信仰は、神聖なキリストに命を捧げ、熱烈な応援をつづける。「競争を忍耐強く走り抜こう」(ヘブライ一二・一一)