「いくさしごろ」と「盧溝橋事件」

きょう七月七日は七夕の星祭り。北海道の洞爺湖畔ではG8のサミットが開催される。しかしわたしにとってこの日は、一九三七(昭和一二)年七月七日の盧溝橋事件がいちばん記憶が鮮明だ。あとでふりかえると、長い日中戦争の幕明けの日だった。
当時わたしは今の中学一年生。たしかその七月なかば、歴史の先生が教壇に立ち「この戦争で日本はシナ(中国)に勝てません」と顔を紅潮させて語られた。京都大学出身のその先生は「中国の歴史を見ると、外国から侵略を受けても、かならずはね返した。日本も同じになる」との言葉が耳に残る。
その二、三年前、わたしが小学生のころ、本屋の店先でふと開いた分厚い大衆雑誌の「キング」だったかに、「一九三四五六年」と大きく印刷され、「いくさしごろ」(戦争の好機)とルビがふられていた。「一九三四五六年」は「昭和九、一〇、一一年」のこと。一〇歳くらいのわたしが、いまだに覚えているのは、よほどびっくりしたからだ。
その一九三六(昭和一一)年には「二.二六事件」のクーデター未遂があり、その翌年七月七日が「盧溝橋事件」で、四年後に日本は太平洋戦争にのめりこんだ。
「一九三四五六」を「いくさしごろ」と読んで、雑誌も好戦をあおっていたのだ。このころ、日本の不況は深刻で、戦争が起きて軍需景気になるのを待望する空気さえあった。
当時「満蒙(満州・蒙古)は日本の生命線」といった標語がマスコミに躍っていたが、日本が戦争に負けて、満蒙はおろか台湾、朝鮮などの植民地もすべて失ったあと、日本の経済は伸びた。当時の軍部の宣伝はウソだったわけだ。戦争をしない国は経済が回復するのだ。戦争は巨大な金をドブに捨てるようなもの。半世紀も戦争をしなかった日本や中国が世界の経済大国にのしあがれるのだ。
九・一一テロのあと、ブッシュ大統領が「かかってこい」と好戦をあおったが、米国と中東、アフガンを戦費で疲弊させた罪は深い。「ピース・メーカーは幸いだ」といわれたイエスのことばが輝く。「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2・4)