木喰の微笑仏彫刻

木喰さんの微笑仏)彫刻展を見に、横浜そごう美術館まで出かけました。それも一度ならず二度までも。
なぜなら、北海道から九州まで、全国から集められた木喰の彫刻一三〇体が、本来おかれている暗いお寺の本堂とちがい、明るい照明のもと、彫刻の正面はもちろん、うしろも横からも、近々と見られるからです。
木喰さん(一七一八−一八一〇)は、江戸中期の甲斐(山梨県)出身の仏僧です。なんと六〇歳から彫刻を始め、九三歳で寂滅するまでに、約一〇〇〇体も彫っています。すごいエネルギーです。しかも八〇歳から微笑仏を彫るようになり、九〇歳から口を開けて笑う彫刻になったといいます。
その笑う表情がじつにいいのです。眉や目が三日月形に大きく彫られ、両頬がぽっこり盛り上がり、見る者もおもわず笑いを誘われます。
わたしは、六七歳になったころ、ニュヨークのメトロポリタン美術館で、木彫りの小さな「十二使徒群像」を見て衝撃を受け、死ぬまでに自分も「十二使徒群像」を彫りたいと熱望しました。
七〇歳の一九九五(平成七)年から木彫を習い始め、七八歳から、もう五年あまり、素人なりに「十二使徒群像」を彫っています。高さ八〇センチの桜材です。
そして、いま顔の細部にかかっていますが、木喰さんの微笑仏を見て安心しました。「目鼻立ち」とひと口にいいますが、十二人の使徒の顔を、個性を持たせて左右対称にそろえるのがむずかしいのです。安心したというのは、木喰さんは表情の左右対称にはこだわらず、自由にノミを入れています。木屑のにおいがするような、彫り残しさえあるのです。
木喰さんが、どんどん微笑仏を彫ったのは、人を喜ばせようとして彫ったのではなく、まず自分自身うれしくて、仏さんが笑ってしまうのでしょう。それを見た人々がまた笑うのです。
キリスト信仰も同じです。まず自分自身が喜んでいると、なぜそんなに楽しいの、うれしいの、心配しないのと、人々は驚き、近づき、キリストに近づくのです。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ 四・四)