「長寿に耐える」母・106歳

shirasagikara2008-08-25

2008年8月23日(土)、わが母・藤尾貞子は、主イエスのあわれみで、満106歳の誕生日を迎えた。驚くべき生命力。わが母ながらあっぱれ。
わたしの母の年代が、日本史上、初めて高齢社会を体験する世代になった。昭和の初め、1930年代は「人生50年」といわれ、60歳の還暦で死ねば「年に不足はない」と言われた。
それが日本の敗戦後、平均年齢が年を追って伸びた。栄養や医療や生活環境が整い、2006年には、女性は85歳、男性78歳に達し日本は世界一の長寿国。しかも人口1億2700万人をそろえての平均だからすごい。人口の少ないモナコや、アイスランドや、シンガポールと比較するのは間違いだ。
日本で100歳以上の人口は、1968年、昭和43年には、たった153人だった。それが2年のちの1970年、昭和45年に2倍の310人となり、1980年、昭和55年にはその3倍の968人となった。1990年、平成2年にはまたその3倍の3298人。さらに2000年、平成12年にはその4倍の13036人となって1万人の大台に乗った。そして2007年、平成19年は32295人に達した。この40年で100歳人口が20倍もふえた勘定だ。
いまの日本では100歳はめずらしくない。しかし106歳はまだめずらしい。しかし長寿は、本人にも、家族にもめでたいことばかりではない。母も102歳までは元気だった。103歳から妄想が生まれ、今はその気力も失せ、手足の自由は利かず、会話もままならない。見たところ苦しみはない。しかしその苦しみも、訴えられないだけかもしれない。母は長寿に「耐えて」いるのだ。母は長寿を望まなかった。主がゆるされただけだ。感謝。(写真は2008年8月23日、106歳の母)
くるしみもいたみもなく口あけて寝ねし百五の母の鬢(びん)切る
アーメンと祈り結べばアーメンと百五の母の唇うごく
「愛は、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(第1コリント13・7)