多摩霊園にて

shirasagikara2008-09-22

秋の彼岸に、家内と多摩霊園へ藤尾家の墓参りに行った。どなたかが、もうきれいな花々を供えてくださっていた。
じつは毎年夏の終わりに墓の草取りに出かけていたが、もう老年なので、この6月、工事を頼み、墓の土を掘り、コンクリートでかため、黒い小石を敷きつめ、草が生えないようにした。墓の片すみの、レバノンの糸杉も、なぜか枯れたので抜いてもらった。たしかに草1本、生えてはいなかった。
人類だけが墓をつくる。死人を埋めて、その場所を忘れぬように塚にして目印にした。そこへ大事な麦粒を供えた。そこから麦が育つのを見て、「種を蒔けば生える」農業が始まったという説もある。
だから墓は目印でもある。権力者はその目印を大きくし、日本の天皇も、韓国の王も、巨大な墳墓をつくらせた。中国には、さらに規模のちがう14万平米の秦の始皇帝陵がある。エジプトのピラミッドもファラオの墓だろうという。
あの財産に執着しなかったユダヤ人の始祖・アブラハムも、なぜかマクベラの墓にこだわり、唯一の不動産とした。エジプトで死んだその孫のヤコブも、その墓へ入ることを切望した。しかしモーセがエジプトから脱走するさい、ヤコブの子・ヨセフの骨を運び出したとあるが、ヤコブには触れていない。
しかし墓は永遠ではない。古墳は荒らされ、数十のピラミッドが崩れ砂に埋もれる。キリスト教は、そもそも「主の墓は空だった」ことから始まる。墓はひとときの目印と思えばいい。聖書で「墓」は、「思い出す」や「記憶」や、最後の晩餐の「記念」とも同じ語源だ。そうだ墓参りは、さきに主に召された家族、知人をを思い出し、記憶し、記念することなのだ。
それを忘れるなとばかり、庭のそこかしこに、真っ赤は彼岸花が、華麗な花を咲かせ始めた。
「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」(ヨハネ20・2)