「使い捨て」の優れもの

100円ショップの「使い捨て」韓国製ひげ剃りを使い始めて数年になる。使う理由の第1は、ねだんが安い。100円で5本も1袋に入っている。1本20円だ。第2に、それでいてよく剃れる。1回で捨てられない。わたしの顔なら4回は十分使える。いや5日はもつ。すると1回4円の勘定。第3は、旅行に軽くて便利。この8月末に島根県へ8日ほど旅したが、2本持って行ってこと足りた。なかなかの優れもの。

同じ100ショップで、夏の初めに買ったガラスコップ5個・500円が、この夏おおいに役立った。阪神中越の大地震で、戸棚が倒れたさい、高価な食器はみな壊れ、安物や、景品でもらった食器が残り、震災後役に立ったと耳にした。安物にも優れものがある。

いまの日本で「使い捨て」は、ワーキングプアの「派遣労働者」や「名ばかりの店長」「名ばかりの正社員」だ。しかも、この人たちがいなければ、日本経済はなりたたない。ワーキングプアは、高質の労働人口だ。これまた優れもの。

中国では都市戸籍・4億人と、農業戸籍・9億人が区別され、農業戸籍人が都市で「民工」として働いても、使い捨てで、社会保障や、住民サービスは受けられず、子どもも学校へ行けない。しかも都市市民は、まるで外国移民のように民工をさげすむという。しかしこの「使い捨て」労働者のおかげで、北京五輪は開催できたはずだ。

エスが愛したのは「安物」「規格外」「ハケン」「民工」とさげすまれ、支配階級から、十把ひとからげに「徴税人、罪人」とつま弾きされた「使い捨て」の連中だ。その「使い捨て」の心をつかんだイエスの福音が、2000年人々の心の琴線にふれている。

「あなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである」(ルカ6・24、25)(口語訳)