部落解放研究全国集会

10月3日の夜、「部落解放研究全国集会」が、宮崎市で開かれている様子をテレビで見た。国連の世界人権宣言60周年を記念しての開催だ。
思えば、京都の部落問題研究所で、そこの幹部の方と面談したさい、「わたしたちのこの運動は、あと10年で成し遂げます」と聞いたとき、「むずかしいのではないか」と感じたことを思い出した。なぜなら、法律や制度は変えられても、意識は簡単に変えられないからだ。「あと10年」と言われた日から、もう長い年月がたっている。
江戸時代に出来上がった、この理不尽な身分制度を打破しようと、多くの先人たちが、血を流す抵抗をこころみ、その激しさに、返って人々の恐怖感を招いた反省から、わたしが部落研をたずねたころは、解放運動も地域住民をまきこんだ方向にすすんでいた。おそらく「あと10年」と言われたのは、政府に対策を迫る期限だったかもしれない。
その後、政府の同和行政で予算措置も受け、同和地域の生活環境は向上したが、やはり差別意識は表面には出ないが根づよい。生活が向上すると「逆差別だ」と批判するものさえ出た。
古くは島崎藤村の「破戒」にえがかれたこの問題を、いまなお、多くの日本人がその実態をほとんど知らないし、知っていても、ことばにしない。そこにあるのに、あたかも、何もないかのように振舞っている。世界の人種差別や、米国の黒人差別などには敏感でも、国内のこの問題には沈黙する。だから「部落解放研究全国集会」がいまなお必要なのだ。
エスの時代、社会は4つの階層にわかれた。祭司階級、つぎは信仰熱心な層、三つ目は「地の民」とさげすまれた信仰不熱心な層、その下に、神の救いから外された「徴税人・罪人」の層があった。イエスが熱いまなざしをむたのは、この「下下の下・ゲゲのゲ」の人々だった。紀元70年のユダヤ滅亡で、この差別は吹き飛んだが、日本でのこの差別意識の消滅はまだ時間がかかるのか。
「わたしたちは近隣の民に辱められ、周囲の民に嘲られ、そしられています。主よ、いつまで続くのでしょう」(詩篇 79・4、5)